月別アーカイブ: 2016年5月

大学訪問記⑤

大学訪問記⑤

同袍寮訪問編

~同袍寮への道~


 

①同袍寮

 

 

 

 

 

 

 

 

<同袍寮近影2016年2月>

 

2016年2月13日(土)朝から市内観光を行い、高松の池をあとにした、我々H4年卒業メンバーとK畠氏(現在盛岡在住で入学は一緒だったはずだが何故か人とは違う進路に進んだ同期生)は、同袍寮に足を向けた。K畠氏の非常に大きな車で国道46号館向から、キッチンアベで洗面器大の器で供される大盛りカツカレーで満たされながら車で帰るかのようなルートで同袍寮に向かう。相も変わらず農学部の実習農場の傍に佇む寮は20年以上前の様相と全く変わらない姿で我々を迎え入れてくれた。実習農場と寮を分かつフェンスの看板には、『ここは農学部の実習のための農場です。勝手に作物を取らないように。』との注意書きが。背に腹は代えられない状況があるんだろうなぁと時代を超えて成長しない同袍寮生という、どうしようも無い時代を生きなければならなかった先輩後輩に思いを馳せてしまう。

中に入りたい!

さて、自分が寮生であった頃は外部からの来訪者は総務部が迎え入れたり、18時を過ぎれば当時電話番として玄関脇の放送室に控えていた寮生が対応し寮内放送で呼び出してくれていたであろう。『414室の〇〇さんお電話です!』とは皆が羨む寮内放送であったことは説明するまでもあるまい。

数年前に寮に改修が入り、自治寮としてのシステムが様変わりしたことは情報として入ってはいたので、我々の訪問をどんな形で迎え入れるのだろうか楽しみであったが、初っ端から我々の期待を挫くような事態に遭遇する。なんと、寮の入り口にテンキーが設置され暗証番号を入力しないことには玄関すら越えることができない状況であった。『むう…。』元寮生4人は茫然自失となってしまった。コンプライアンスだのガバナンスだのと世間が騒がしいが寮までセキュリティがこんなに厳しくなっているとは…。最早これまでかと思いつつも、何とか中に入れてもらうために玄関に寮生がいないかと必死に寮の中を覗きこむ。

 

②覗き込む不審者たち

 

 

 

 

 

 

 

<中を覗き込む不審者たち>

 

そうだ!非常階段から入れんじゃね?と4人の中で最も非常識な筆者が、かつて、部屋の後輩・伊藤某とオクラをカセットコンロで焼きながら日本酒を飲んだ非常階段からの侵入という非常識を遥かに超えた犯罪的な発想に皆が呆れ返る。覗き込んだところで侵入できないことは明白なので何かネタがあるかもしれないと侵入する気はないものの皆が非常階段に向かう姿に、誰もがやりたくはないのに空気を読んでいるうちに戦争に向かっていった1941年の空気を感じ取ったのは私一人ではなかったはずである。

 

非常階段下には立て看板の残骸があり、寮祭の文字がみえる。そう寮祭はまだ続いていることがここで判明する。寮祭の宣伝のために1年生は仮装をして盛岡市内中心部を練り歩く。自分を含む3階の寮生は伝統的に女装と決まっており、どこから集めたのか大量の女性の服から自分の体がおさまるものを選び化粧をしてゴールの岩手公園まで歩いたことを思い出した。2階の住人であったTZとE藤、k畠氏はオバケだった。伝統的に2階は南方の土着人の仮装で彼ら3人は全身真っ黒になっていたはずだったが、平気で伝統をぶち壊す芯の強い同期だったのだろう。ほどなく3人とも寮を出て行くのだが結果がそれを物語っている。

 

③寮祭看板

 

 

 

 

 

 

 

<非常階段下に打ち捨てられた寮祭の立て看板>

 

 

遂に潜入

④侵入を思いとどまる二人

 

 

 

 

 

 

 

<非常階段からの犯罪的侵入を思いとどまった筆者とTZ>

 

非常階段からの非常識な侵入(犯罪行為)を思いとどまった我々は玄関で寮生が出入りするのを待った。寮生を捕まえればいろいろ話が聞けて、寮の中に入れてくれるだけじゃなく、きっと部屋にも招待してくれるはず!と都合の良いことを夢想しながら待つこと数分、外出から戻ってきた第一寮生を発見する。彼に我々は怪しいものではないことを告げ、寮の中に入りたい旨を伝えると「管理人が、管理人が…」と連呼する。どうやら管理人が訪問者の受付をしているようで、普段はかつて放送室であった場所に常駐しているらしい。しかし、管理人が不在で彼にはどうすることもできない様子であった。しばらくすると第一寮生の背後から中年女性が近づいてきたので管理人か?と思ったが、第一寮生の母親だった。荷物を運び入れる彼らの後を自然とついていく形となり、遂に同袍寮の玄関に侵入することができた。

 

 

玄関から居室まで

⑤玄関

 

 

 

 

 

 

 

<こぎれいな玄関。正面の白板の張り紙を読みたい!>

 

⑥旧同袍寮看板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⑦告白箱

 

 

 

 

 

 

 

告発箱の存在が我々をザワザワさせる。

玄関の作りは当時とほとんど変わっていないが、とても綺麗になっていた。玄関左には昔の寮の看板が置いてありその奥に管理人室(元放送室)がみえる。右に下駄箱、正面に階段があり。構造はかつてのままのようだ。

第2、第3寮生からそっけない対応の後、我々を救済してくれる第4寮生と遭遇することとなる。第4寮生が外出から戻ってきたところをTZが、怪しいものではないから中に入れてくれと交渉を始める。さらに君の部屋も見せてくれないか?怪しいものではないから、と畳み掛ける。こういった厚かましさはTZはお得意なところ。同席したK畠氏の方が厚かましさでは飛び抜けているが、相手に対する威圧感が半端ないのでTZに任せて正解だった。第4寮生はいかにも怪しい同袍寮OB4人組に取り囲まれても怯えることなく、我々の要求を快諾してくれた。彼は教育だか人社の学生で、同袍寮はもはや工学部だけの寮にはなっていない事が判明する。彼は仮装的には南方の土着人の階の住人で、寮長部屋と同じフロアとなる。第4寮生に案内されるがままに彼の部屋へ侵入する。改修前は4人部屋であったが部屋の真ん中に壁を作り左右に出入り口を新設することで個室を構成してる。水周りも完備され我々の頃を考えると快適性は段違いである。。

 

⑧部屋内部1

⑨部屋内部2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<現在の部屋 (同袍寮Facebookから)>

 

⑪旧文化部部屋

 

 

 

 

 

 

<比較のため改修直前(2010年)の文化部>

⑩旧洗面所

 

 

 

 

 

 

 

 

<2010年頃の同袍寮洗面所>

 

我々の時代の水周りは本当に酷いもので、参考資料のように、よく病気もしないで卒業までの4年間(一部の人は8年間)もの間、生きのびたものだと考え深いものがある。

よく食中毒が発生しなかったものだ。結構人間って強い生き物なのでしょう。

部屋まで案内してくれた第4寮生に丁寧に礼を伝え、自啓寮との共通スペースへ向かう。

 

オッス!

部屋を去り1階へ向かう道すがら、第5寮生とその母親が階段を上がってきた。我々が寮生の頃はこんなに酷いところなんかとてもじゃないが親に見せられないなぁと感じていた。大抵親が来るのはパチンコやバイトに耽り、学校に行かなくなった学生を叱りつけにやって来るものだと相場が決まっている。きっと、彼もそうに違いない。第4、第5寮生がすれ違いざまに発したのは『オッス』だ。懐かしい!。一気にあの時代に引き戻されてしまった。オッスだ、オッスだ!と大男4人が女子高校生のようにキャッキャ騒いでいる姿に、第5寮生親子は怪訝な顔をしながら部屋へ消えていく。

掲示板、ポスター、告示

玄関に戻ろう。玄関には様々なポスターや、張り紙が掲示している。我々の頃と特に違うのがお酒に関するものだ。至る所に無理な飲酒や未成年に飲酒させないなど、昔は言われなくてもしっかり守られていたルールをあえて掲示するとは(^_^;)。

 

⑫掲示板

 

 

 

 

 

 

 

<注意喚起の張り紙>

 

⑬昔の掲示

 

 

 

 

 

 

 

<比較のためかつての食堂の注意喚起 『告』>

 

一方、玄関正面のホワイトボードには寮生大会の告示が掲示してあった。寮生大会では一体どんな議題で盛り上がるのだろうか?我々の時代は芝生問題であったり、駐車場問題であったり、途中のアタック休憩を挟み、3時4時まで盛り上がっていたものである。

役員の打ち上げは客が居なくなるまで店を開けてくれる楽園こと光楽園。ベロンベロンになった役員全員で紅梅寮までとつげきしたものであった。

⑭寮生大会告示

 

 

 

 

 

 

 

<寮生大会の告示>

 

また、自啓寮との間で問題が起きると寮長同士の手打ちとなるが、そのほとんどが問題を起こした寮生の反省文を掲示することになってる。我々が訪問した際には残念ながら反省文は見当たらなかった。今時の学生同士でどんなイザコザがあるのだろうか?

 

共通スペース

さて、玄関周りに面白いものが見当たらなかったので自啓寮との共通スペースへ向かう。かつては食堂と風呂、活動室だったかな?があった場所である。

 

⑮かつての風呂

 

 

 

 

 

 

 

<比較のため、かつての風呂>

 

風呂場はランドリー室とシャワー室に置き換わっていた。ランドリー室は広々として元風呂場の雰囲気が少しづつ残っていたように感じた。また、とても清潔感がありこれくらいきれいじゃないと若い人の寮離れに歯止めがきかないのであろう。(寮離れなんてあったけ?という疑問はスルーします。)

 

我々不審者がシャワー室でホホーン⤴と怪しく感心していると第6寮生が、オッスっと心なしか誰だ?こいつらという顔を見せつつもシャワー室に消えていった。これから合コンでもあるのだろうか、夜に向けてしっかり磨いて同袍寮魂をギャルに見せつけてほしいものだ。

 

⑯ランドリー室

 

 

 

 

 

 

<風呂場だったところはランドリー室(乾燥機ありました!)>

 

⑰シャワー室

 

 

 

 

 

 

<ランドリー室手前のシャワー室。第6寮生が磨いています。>

 

 

退散

⑱科会メンバー

 

 

 

 

 

 

 

<科会東京支部メンバー(LtoR:TZ、E藤、筆者)>

 

同袍寮を探索しきり、科会支部ホームページ用のネタの撮れ高も十分に確信した我々は、足早に退散するべく玄関へむかう。この後は、寮生御用達、明月館で冷麺を食べて、TZ、E藤がバイトしていた肴町や八幡へ向かうことを話しつつ一目散で退散するのであった。

 

つづく

 

大学訪問記④

大学訪問記④

夜の盛岡編

大学~上田通り~大通り


 

情報の学生のプレゼンを途中で引きあげて、しばらく工学部内をぶらぶら歩きまわって、ちょうど飲み屋が開きそうな時間帯になったところで、飲みに誘っていた長田先生のところの学生と合流するため、再び長田研究室へ。

そこで、我々を茫然とさせる光景が・・・・だっ、誰もいない。。。

そういえば、誘っただけで時間を決めてなかったよなぁ~、とすぐに反省の念が脳裏をよぎる。

確かに我々と飲みに行くことを心待ちにして、研究室で待ってくれているなんて甘く考えていた自分たちが浅はかであったが、つーかみんなこの時期こんな早く帰っていいの?長田研究室の学生はみんな、卒業論文や実験等を定時間内(学生時代、定時間という概念はなかったが)で楽勝にこなす優等生ばかりなのだろうか???

今訪問最大の目的であった、学生との飲みニケーションがこの瞬間もろくも企画倒れになってしまった。

 

00_ちばさん1

 

 

 

 

 

 

<真ん中;技官の千葉さん>

 

残念な状況になってしまったが、いつまで打ちひしがれていてもしょうがないと心を入れ替え、本日いろいろお世話になった技官の千葉さんに挨拶をして、夜の盛岡へ繰り出すことに。

 

 

01_上田会館1

 

 

 

 

 

 

<時間が止まっているかのような上田会館>

 

02_上田会館2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<上田会館内;ほとんどやってない>

 

とりあえず上田通りを歩いてみる。知っている店があったら入りたいと思いながら3人できょろきょろ探すも、通りに飲み屋がほとんどなく、自分たちの記憶もかなり怪しい。上田会館は覚えていたけど店の名前まで出てこない。営業している店に入ることを躊躇して先に進むことに。

 

03_上田通り_kemuri

 

 

 

 

 

 

<上田通り ショットバー風のKEMURI>

 

04_上田通り_ショップ

 

 

 

 

 

 

<上田通り 古着屋さん TAO>

 

05_上田通り_養老の滝

 

 

 

 

 

 

<上田通り 養老の滝>

 

少し歩くと、我々のイメージする上田通りには似つかわしくない、おしゃれなショットバー風のお店や古着屋さんができていました。かろうじて記憶のあるのは養老の滝くらいか。

思い出深い、“らくえん”こと『光楽園』は数年前にすでに店をたたんでいました。

結局、めぼしい店を見つけることができないまま、上田通りをとおり抜け、大通りまで歩くことに。目的地をN副支部長が学生時代にバイトをしていた『茶の間』に定め、大通りの風景を懐かしむ。

 

07_大通り2_さわや書店

 

 

 

 

 

 

<大通り さわや書店>

 

08_大通り3_交差点

 

 

 

 

 

 

<大通り 映画館通りとの交差点>

 

09_大通り4_ミスド

 

 

 

 

 

 

<大通り ミスタードーナツとその上にあるショットバーCHARLY>

 

10_大通り5_岩手公園

 

 

 

 

 

 

<大通り 岩手公園前>

 

大通り沿いは今時のチェーン店ばかりが目立つ。待ち合わせ場所によく使ったミスタードーナツとその上にあるショットバーCHARLYがまだあったことは、入学直後の新歓の頃を思い出させてくれた。

更に進んでやっと桜山神社まえまでたどり着く。この辺りは、我々世代より更に前からやっている店が残っている数少ない場所であろう。

 

11_桜山神社

 

 

 

 

 

 

<桜山神社>

 

14_パイロン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<白龍(ぱいろん)>

 

13_パイカル

 

 

 

 

 

 

<白乾児(ぱいかる)>

 

15_茶の間

 

 

 

 

 

 

<茶の間>

 

目的地の『茶の間』に到着。かつてN副支部長がバイトをしていたことから、我が家のごとく店内に入る。日本語がたどたどしいバイトの店員さんに昔バイトしていたものだと説明していたら、横のお客さんに「おまえは中国人か?」とまくし立てられるN副支部長。聞くと、近頃のバイトは外国人ばかりらしい。現在のバイトさんはベトナム人とのことで、何となく世知辛さを感じる。

茶の間にくるお客さんは地元の常連客ばかりで、客同士で自然に会話が弾む。後から来たお客さんと話をすると、岩大人社OBで北謳寮の元寮長だったとか。初めて会う人たちと、こんな話で盛り上がれるのも、盛岡であればこそ。

 

16_茶の間おやじ

 

 

 

 

 

 

<茶の間のおやじからお土産の日本酒をもらうN副支部長>

 

17_かしわや

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<かしわや>

 

茶の間で熱燗をしこたま飲んだ後、そばでも食べるかということで『かしわや』に入る。ここはE事務局が寮生時代に1週間だけバイトをしたところで、GW中に休暇をもらおうとしたらクビになった店。店主にその話をしたがさすがに覚えているわけはなかった。

 

 

酒もかなり飲み、腹ごしらえも十分であったが、まだまだ時間が早いのでぶらぶら夜の盛岡を歩く。覚えている店が少ない中、懐かしい店が目に入る。焼肉『大同苑』。ここは、同胞寮時代の土木系の同期(K氏;翌日盛岡市内観光の運転手をやってくれた)がバイトをしていたことから、当時は最後に行く店として活用していたところ。

大同苑の向えの通りには『ダンスホールかわい』の看板が残っていた。“ダンパ”などの言葉は今の学生には死語だろうか?看板は残っていたけど、やっている気配は感じられなかったのが残念。

 

19_大同苑

 

 

 

 

 

 

 

 

<大同苑>

 

20_かわいダンスホール

 

 

 

 

 

 

 

 

<ダンスホールかわい>

 

大同苑で無理やり焼肉を食べながらも、既に茶の間の熱燗で酔っぱらいmaxに達していたE事務局が眠りに入ってきたため、お開きにすることへ。

予約したホテルへむかい、翌日予定していた盛岡市内観光及び同胞寮訪問に備え、一同休息に入る。

懐かしの夜の盛岡を十分堪能できました。

 

21_ホテル

 

 

 

 

 

 

<夜の北上川とホテル>

 

 

つづく

 

大学訪問記③

大学訪問記③

先生に御挨拶編

~電子デバイス工学;小林先生、

 メディアシステム工学;松山先生~


 

現役大学生と科会メンバとの接点にあたる就職担当の先生にもご挨拶をと、小林宏一郎教授にお時間を頂きました。

01_新棟

 

 

 

 

 

<新棟を訪問(工学部の駐車場があった場所)>

 

 

小林先生とは初対面で、緊張の中お会いしましたが、実は我々とほぼ同世代と言うことが分かり、少しリラックスしてお話をすることができました。

 

最近の状況としては、電気系卒業生への採用募集は多い状態だが、大学入学での電気系の希望が少なめで苦慮しているとのことでした。これは、岩大に限らず全国的な傾向とのことで、電機業界が苦戦しているイメージが影響しているのでしょう。何とか払拭するような明るい話題を出したいものです。

 

02_小林先生

 

 

 

 

 

 

 

<左から2番目が小林教授>

 

 

東京支部に期待することとしては、学生に企業での経験を話す機会を作って欲しいとのことでした。これは、企業幹部などのベテラン社員から生の声を学生に伝えることで、社会の厳しさや学問との繋がりを知ることができ、研究や授業に取り組む姿勢に刺激を与えられる期待ができるとのことです。また、その企業イメージが明確化され、就職先として候補に上がってくることも期待できるとのことです。学生は企業の人から直接話を聞く機会が限られていて、イメージで判断していることもあるようです(科会の皆さん、いかがでしょうか?)。

ところで、私達は東京支部の活動活性化のために訪問したのですが、小林先生もご自身の出身大学の岩手エリアの世話役をしているとのことで、同じような課題をお持ちで、思いの外、話に花が咲きました。今後も活動アイデアについても、話をして行ければと思いました。

 

03_情報棟

 

 

 

 

 

 

<情報棟>

 

続いて、2015年10月の東京支部大会に一祐会の御来賓として出席いただいた助教の松山克胤(かつつぐ)先生を訪問しました(先の支部大会では理工学部への学部改組についてもご説明頂きました)。

松山先生は、メディアシステム工学で、コンピュータグラフィックスの表現形式や生成方法についての研究や,3次元データの形状処理技術などの研究をされています。

 

04_松山先生

 

 

 

 

 

<コンピュータを使って実演>

実際にコンピュータを使って、いくつかの処理技術を、我々素人にも大変分かりやすく紹介いただきました。地元での(人的)ネットワークから新たな情報利用の試みなどについても紹介していただきました。

 

05_松山先生2

 

 

 

 

 

<松山先生にわかりやすく説明頂きました>

 

また、メディアラボという3Dデータなどを撮影できるスタジオのような部屋があり、そこで行われていた学生によるプレゼン大会を見学させて頂きました。卒論・修論とは別のテーマで半期ごとに自主研究発表会を行っているとのことです。最近は中国からの留学生も何人もいるようで、我々の時代とは変わってきていると感じました。松山先生、大変お忙しい中、お時間を取って頂きありがとうございました。

 

06_メディアラボ

 

 

 

 

<メディア・ラボ>

 

 

つつぐ

大学訪問記②

大学訪問記②

長田研究室編

~長田研究室(おさだけんきゅうしつ);システム工学~


 

①長田先生とH4卒支部メンバー

 

 

 

 

 

 

 

<長田先生とH4年卒業の東京支部メンバー>
長田研究室には訪問日のかなり前から『行くよ!いくよ!いきますよ!』と前置きしておきましたので、我々平成4年卒業の3人組のおじさん達が、いきなり研究室に乗り込んでみても、研究室の4年生の佐藤くんが、快く迎えてくれたことは、我々の訪問の大成功を勘違いさせるに十分な心地よさでした。前年の同窓会会員の歓迎会(卒業式前後で開催)でも大学院生を積極的に送り込んでいる研究室と噂では聞いていましたが、流石、長田研究室!学生も良く教育されていると感心ばかり。20数年前の自分にそんな振る舞いができただろうかと?反省と後輩の素晴らしい所作に対する嬉しさがないまぜになった変な顔で研究室に入室。
かつて在籍していた部屋ですがレイアウトが様変わりしていました。学生の机は3つの島に分かれ、右奥には技術部の千葉技術室長の机が書類の壁の奥に。千葉さんの机は20年以上前となんら変わることがなく、どこに座る場所があるのだろうか?と全くもって見当がつかないカオスな机周りで妙な安心感を覚える。学生の整理整頓された机とのコントラストもあって微笑ましいものであった。部屋の奥にはソフトボール大会用と思われるグローブがいくつかロッカーの上にあり、研究室行事も変わらないなぁと一瞬思い出に耽る。

快く招き入れた佐藤くんが、千葉さんが研究室に戻るまで我々に椅子を勧めつつ自分からも積極的に会話に参加し、所在無げで研究室の異物になりそうな五十路前の我々を救ってくれました。

②4年生の佐藤くん

 

 

 

 

 

 

 

<異物化から救ってくれた佐藤くんと異物になり損ねたTZ氏>

 

 

佐藤くんたちからは、研究室の雰囲気や就職・進学の状況、ソフトボール大会など研究室の行事や学生生活に関わる全般を教えて貰う。途中同袍寮の情報を得て今回絶対に同袍寮に訪問することを決意する。
程なく千葉さんが戻り、別室を荷物置き場として使ってくれとの優しいお言葉。そのことばに更に甘えて学生たちに支部活動のPRをさせていただくことをお願いし、快く了承していただきました。

 

 

③PR中の中山

 

 

 

 

 

 

 

<学生に熱く支部活動をPRしている筆者。なぜニヤけるのか?>

 

④長田研究室の学生たち

 

 

 

 

 

 

 

<急に呼び出された長田研究室の学生たち。なぜニヤけるのか?>

 

 

30分ほどでありますが我々が訪問した目的や首都圏を考えている学生にどんな様子なのかちょっとした相談会の体で彼らの話を聞ことができました。東京の通勤ラッシュ、できるだけ地元から距離を置きたくない、田舎すぎるのもちょっとなど、彼等らしい様々な理由から、就職先を選択している様子が窺い知れた。すでにTOEICなどは在学中には必須となっているようでしたので、我々からは、海外で仕事をするという選択肢もあることや、通勤ラッシュは気にならなくなるほど仕事に埋没できるなど、アドバイスというより彼等をドン引かせるようなことしか話せず、ジェネレーションの違い以上に会社人に染まった自分たちの提案の幅の狭さに辟易してしまう。彼等とは学校の後で飲みに行こうとお誘いし、数名が参加することになり、飲み会で適切なアドバイスで挽回することを誓う。
つづく

 

 

 

大学訪問記①

大学訪問記①

いざ盛岡編

~雪の岩手山と懐かしの学食~


 

支部役員会ではかねてから、科会活動の活性化を目的に学生との交流を増やしてみてはという話が挙がっていましたが、この2月、H4年卒の3人組みで大学へ訪問し、卒業間近の学生や先生たちにご挨拶をしてきました。はたして、狙い通り学生とのコミュニケーションが取れるだろうか?という一抹の不安を抱えながらいざ盛岡へ!

 

以下、1泊2日の盛岡訪問記を3人で分担し6編にわたって報告させていただきます。

①2月の盛岡駅前

 

 

 

 

 

 

 

 

<2月の盛岡駅前>

 

2月12日、東京発7:16のはやて111号に乗車し、10:11盛岡着。道には全く雪はありませんでしたが、駅前には観光客向けの雪だるまが作られていました。さすがに東京よりは寒かったですが、思ったよりは暖かい。ゆっくり歩いて大学まで行くことに。

 

②岩手山

 

 

 

 

 

 

 

 

<夕顔瀬橋からの岩手山>

 

 

先ずはお約束の北上川と岩手山の写真を撮って、卒業後からずいぶん変わった町並みを楽しみながら同胞寮時代よく通った道(のはず)を、3人の記憶をたよりに大学へ向かう。しかし、おっさん3人の記憶のほころびは補えず、同胞寮の入口に向かったはずが、農学部裏の旧岩手大学正門に行きついてしまった。

 

③旧正門

 

 

 

 

 

 

 

 

<旧岩手大学正門>

 

まぁ、同胞寮は後のお楽しみにするとして、最初のご挨拶である、本部の柳橋さんとの待ち合わせ場所、中央食堂へ向かう。

 

④生協食堂のお知らせ

 

 

 

 

 

 

 

 

<バレンタインデー特別企画“チョコレートコロッケ”???>

 

 

⑤中央食堂

 

 

 

 

 

 

 

 

<平日午前中の中央食堂の様子>

 

いくらバレンタインデー直前とはいえ、チョコレートコロッケは無いだろう!などと思いながら二十数年ぶりの中央食堂に入る。昔より明るい感じがする。勉強している学生もちらほら。

 

⑥柳橋さんとの打ち合わせ

 

 

 

 

 

 

 

 

<中央食堂で柳橋さんとしばし打ち合わせ>

 

柳橋さんと無事合流し、今回の目的などを説明。東京方面に就職予定の学生と交流し、支部の活性化につなげたいということを伝え、本部や先生方の継続的な協力を依頼。話も弾んだところで柳橋さんが柏葉先生に急遽アポを取ってくれることに。予想外のうれしい展開に一同感謝。

 

突然の訪問にも柏葉先生には快くお部屋に迎えていただき、先生直々にコーヒーを淹れてもらいました。

 

⑦柏葉先生のお部屋

 

 

 

 

 

 

 

 

<岩手大学地域連携推進センター付属インキュベーションラボの中にある柏葉先生のお部屋>

 

 

⑧柏葉先生と記念写真

 

 

 

 

 

 

 

 

<左から、中山副支部長、柏葉先生、加瀬事務局、遠藤事務局>

 

柏葉先生は午後に外出予定のところ、昼休みのお時間を割いてお付き合いいただきました。次回は事前連絡をしてからお伺いいたします。本当にありがとうございました。

 

⑨工学部食堂

 

 

 

 

 

 

 

 

<工学部食堂にてサバ塩焼き定食の2人>

 

柳橋さん、柏葉先生と別れ、午後訪問予定の長田研究室へ行く前の空き時間で工学部食堂にて腹ごしらえを。正直サバは不味かった。期待は裏切られたが、まぁ安いのでしょうがない。

 

⑩一祐会館

 

 

 

 

 

 

 

 

<工学部の一角にある一祐会館>

 

長田研究室にお邪魔する前に、一祐会の事務をやっている小田島さんに一言挨拶に。事前に連絡を入れたところ、お子さんがインフルエンザのため休暇中とのことでしたが、わざわざ挨拶のため一瞬だけ大学に出てきてくれました。ありがとうございました。

 

 

さて、午後からは学生さんとのご面会。はたして今の若者と会話ができるのだろうか?

期待と不安の中、長田研究室へ向かう。

 

つづく