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2017年度 大学訪問記①

2017年度 大学訪問記①

大学訪問編


日時:2017年10月6日(金)12時~18時
訪問研究室:木村研究室、萩原研究室、小林研究室、高木研究室
対応していただいた先生:三浦准教授、木村准教授、萩原教授、小林教授、高木教授、向川教授、石川さん(技官)、柏葉先生
訪問者:遠藤さん(平成4年卒)、加瀬さん(平成4年卒)、三浦(平成16年卒)

 

科会活動の活性化、平成卒の科会会員の参加率向上を目的に、数年前から実施している大学訪問を10月6日に実施してきました。今回の訪問は、前回の反省をいかし、学生、先生ともに比較的時間に余裕のある10月に実施しました。訪問にあたり、私の担当教官だった高木先生に打診をしたところ、学内展開、訪問研究室、訪問時間、学生との懇親会まで、調整していただき、数回のメールのやり取りで、あっという間に訪問スケジュールが決定しました。高木先生、お忙しい中、コーディネートまでしていただき、ありがとうございました。

11時前に盛岡駅に着いた我々はタクシーで岩大理工学部へ。研究室訪問は13時からの予定のため、技官の石川さんの部屋をベースキャンプにして、午後からの研究室訪問に向けて作戦会議。作戦会議もそこそこに、12時になり、お腹も空いてきたので、中央食堂へ。中央食堂は、夏休み明けの学生で大盛況、そこで、我々は最近オープンしたという中央食堂2階の「レストラン kenji」へ。店名である宮澤賢治にちなんだメニューがあり、3人はそれぞれ、イーハトーブ・プレート(680円)、キャンパスランチ(650円)、注文の多い弁当(650円)を注文。夜にはお酒も出るようで、学内の飲み会や学会の懇親会にも利用されているとのことです。

 

 

 

昼食を済ませた我々は今回の訪問のコーディネートをしていただいた高木先生のもとへ。高木先生からは研究室訪問の前に学部1年生の授業を見学させていただきました。その後、学部の広報担当である三浦先生から、学部の説明および就職状況などについて説明していただきました。

 

研究室訪問は、科会とは何かという説明、我々3名の自己紹介、学生の自己紹介という流れで行いました。まず初めに訪問したのは、理工学部システム創成工学科知能・メディア情報コース木村研究室です。学生、我々3名、お互いに初対面で緊張しながらの自己紹介となりましたが、科会について少しは知っていただき、関東に就職が決まっている学生も数名おり、科会に参加していただく、きっかけになったのではと思います。

 

 

 

次に訪問したのは、理工学部システム創成工学科知能・メディア情報コース萩原研究室です。萩原研究室では「脳・視覚-計測,認識,理解とその制御に関する最先端の研究」をしており、萩原先生より研究室の研究紹介をしていただきました。また、学生からは現在取り組んでいる研究である画像認識で血管の位置を特定して、その情報をもとに自動で注射する装置について、実機を見ながら説明していただきました。

 

 

高木先生と合流し、次に訪問したのは、岩手大学地域連携推進センターにある柏葉先生のお部屋。柏葉先生とは6月に開催した岩手大学電気電子情報科会総会、東京支部大会以来の再会です。柏葉先生が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、近況報告と翌日に予定している岩手山登山についての話で盛り上がりました。

次に訪問したのは、理工学部システム創成工学科電気電子通信コース小林研究室です。小林先生には6月に開催した岩手大学電気電子情報科会総会、東京支部大会に参加いただき「大学の近況と研究動向」というテーマで講演をしていただきました。小林研究室では、小林先生も交えて、他大学のOB会組織など、社会人になってからの大学との関わりについて意見交換を行いました。また、就職活動に関する具体的なアドバイスとして、加瀬さんから、自社のエントリーシートをもとに、これから、エントリーシートを書くことになる学生へ向けてアドバイスを行いました。

 

最後に訪問したのは理工学部システム創成工学科電気電子通信コース高木研究室です。高木先生は仕事が残っているとのことで、高木研究室の学生に実験室を案内してもらいながら、各研究テーマについて紹介してもらいました。高木研究室は国内外からの来客が多いということで、学生による研究紹介、完璧でした。

 

 

 

予定していた研究室訪問が終わり、すっかり、日も暮れてきたので、今回の訪問の重要事項である学生との飲みにケーションを実施。場所を大学から徒歩1分の中華料理屋八仙閣に移し、飲みにケーションスタートです。学生は高木研究室より5名、萩原先生、高木先生、向川先生、我々3名の合計11名で行いました。お酒も入り、緊張もほぐれたことから、会話も弾み、内定、就職を希望している業界の動向から、冷麺、じゃじゃ麺の話まで、楽しい時間を学生と共有することができ、社会人になってからの大学との付き合い方について学生に体験していただき、参考になったのではないかと思います。

下記は訪問研究室の研究内容

理工学部システム創成工学科知能・メディア情報コース
木村 彰男准教授(多様な分野に応用できる画像処理技術の研究開発)
研究内容:コンピュータを利用した画像処理技術の研究を幅広く行っており、特に生産ラインでの不良検査や製品の自動組み立てなどに応用される「画像認識」に力を入れています。これまでに、カメラ視点に依存しない形状認識、生長変形を伴った牛の鼻紋パターン認識などのアルゴリズムを開発してきており、最近では、一枚の画像から3次元的な情報を抽出するアルゴリズムの研究や、小型軽量のカメラ搭載型ラジコンヘリコプターを利用して3次元復元を行う研究などにも取り組んでいます。

萩原 義裕教授(脳・視覚-計測,認識,理解とその制御に関する最先端の研究)
研究内容:未来のロボットやコンピュータには、周囲の状況への理解力、知識発見能力、論理的思考力、情報を補ってイメージする能力が必要になります。私たちは、これらの能力の実現を目指すとともに、CG作成ソフトや3Dゲームに役立てたり、ロボット制御に応用したり、医師を始め高度な訓練を受け専門的な知識やスキルを持つ技術者に準じた判断能力を実現することにより、社会で役立つロボットやソフトウエアを開発しています。

理工学部システム創成工学科電気電子通信コース
高木 浩一教授(プラズマを生成するためパルスパワー技術の研究開発)
研究内容:放電プラズマや高電圧工学は電子デバイスやエネルギー変換など、ユビキタス社会や低環境負荷社会の構築に大きく貢献しています。近年は医療、バイオ、農業分野や環境保全など、新しい応用分野が広がっており、私たちは、各応用に適したプラズマを生成するための電源(パルスパワー)技術や、環境保全、農業・食品、材料分野への応用研究をおこなっています。また、明日の地球と地域と人づくりのため、小学校や科学館と連携したエネルギー環境学習にも取り組んでいます。

三浦 健司准教授(マイクロ波帯電磁複合材料作製・評価とその応用
研究内容:スマートな情報通信社会実現のため、高速通信だけでなくセンシングや電力伝送に電波を利用する試みが進んでいます。私たちは誘電特性と磁気特性を高周波帯で併せ持つ電磁複合材料とその応用デバイスに関する研究を行っています。応用のひとつとして、混練型木質プラスチックを母材とした電波吸収体を提案しており、電波干渉が起こっている空間でも違和感なく設置できる、内・外装材と一体化した電波吸収体の実現を目指しています。

向川 政治教授(放電プラズマの生成と応用)
研究内容:放電プラズマの生成と応用を主な研究対象としています。放電プラズマは、各種材料の表面改質や半導体デバイスプロセスなどに幅広く用いられています。現在は主に、プラズマまら基板の熱流束の測定や、低誘電率薄膜、大気圧プラズマ、マイクロプラズマの研究、および放電プラズマに関する各種計算を行っています。また、大気圧プラズマの応用として、高分子材料表面処理(親水化、疏水化、窒化)の研究に、学内外の研究者とともに携わってきました。

小林 宏一郎教授(生体センシング技術の開発と信号処理に関する研究)
研究内容:主に、心臓から発生する磁界を超高感度磁気センサ(SQUID磁束計)で検出し記録する心磁図計測システムの開発を行っています。具体的には、SQUID磁束計の制御用電子回路や生体センシング機器の設計・製作、生体信号計測、解析プログラムの作成などが研究テーマです。さらに、鉄筋コンクリート構造物の塩害を検査する非破壊検査装置の開発にも取り組んでいます。

 

2016年度 大学訪問記②

2016年度 大学訪問記②

盛岡探索編

~寮巡り~盛岡市内~郊外~


昨年、何十年ぶりに盛岡を探索したが、まだまだ確認していない所があるので、今年もブラブラ訪れてみた。
前回は昔の住みかである同袍寮をチェックしたので、今回は当時、交流のために訪れた女子寮を確認したくなった。まずは、高松エリアの岩手大学紅梅寮。建物はきれいになっていたが当時を思い出して懐かしい。訪問中、人の出入りはなく現代との交流はできなかった。寒くて建物に籠もっているのだろうか。昔は大声でストーム(挨拶)をしていたことを思い出す。おまけで隣の北謳(ほくおう)寮も覗いたが、学生との交流はできなかった。当時(90年代)は人社・教育の男子寮だったが、現在は学科は特に決まっていないらしい。

 

 

<わくわく、紅梅寮>         <すぐ隣の北謳寮>

移動をして、岩山の麓にある、衛生学院の桐和(とうわ)寮へ行ってみた。緩やかな坂道を登ると左手に見覚えのある建物はあったが、カラフルな色のパンションとなっていた。副支部長は建物を呆然と見つめるだけであった。

<元・衛生学院 桐和寮> 

続いて中野にある盛岡短大のひめかみ寮。現在は県立大学の寮として継続しているようだったが、人影は見えなかった。ここは昔のままの姿であり、かなり懐かしい。ついでに寮の裏を見た所、ボーリング場「光フェアレーン」は健在だった(現在はスターレーンと改称) 何度か合コンでボーリングをした記憶がある。

 

<ひめかみ寮>         <元・光フェアレーン>

 

寮のチェックはここまでで、移動中に街を眺めていると不思議な公園を見つけた。茶畑にある十六羅漢像。1849年の江戸時代から何の囲いも無く自然に触れられるというのはすごいことだ。更に、すぐ横に栗割り桜という木がにあった。栗の木の間に桜の木が育っていて春には花も咲くようだ。桜の強い生命力に感銘。当時はこういったものに全く興味が無かったが、今なら気になる見所は、盛岡にはまだたくさんあるのだろう。

<茶畑の十六羅漢像>     <栗割り桜長>

 

 

更に移動を続けると、昨年見かけた中ノ橋通りの盛岡バスセンターが姿を消していた。だいぶ老朽化していたので、安全上撤去したのだろう。見覚えのある風景がまた少しずつ変わっていく。

 

 <盛岡バスセンターが姿を消していた>      <バスセンターがあった頃の写真> 

そこから大通方面に向かい、盛岡城址公園の横を通った。雪の石垣というのも風情がある。城があった時代は、雪化粧した盛岡城もさぞかし風情のあるたたずまいだったのだろう。

 

 <盛岡城址公園> 

岩大方面に戻り高松へ。4号線沿いの盛岡食堂。通称、盛食。自分にとってはすぐ側にあった大名うどんの方に良く行っていたが、盛食の方がまだがんばっていた。上堂のマッハランドも健在だった。中には変わらず36レーンの広いボーリング場があったが、新たにドン・キホーテも入っていた。これは、きっと楽しいだろう。

 

<高松エリア4号線沿いの盛岡食堂>           <マッハランド>

 

そこから国道46号を秋田方面に走り、繋の交差点の少し前に、三千里を発見。昼時だったので冷麺を頂く。うまかった。その後、今回は左手の手作り村方面には向かわず、右手の側道を入る。次々と派手な看板を通り過ぎ、ようやく目的地に着いた。

 

<46号沿いの焼肉 三千里>       <三千里から右手の側道をひた走る>

 

ここは小岩井農場。当時、たまに車を走らせて遊びに来ていた。岩手山の麓の広々とした土地にのんびり牛や羊がいて、歴史的なサイロや牛舎を見ると、歴史と自然を感じ居心地が良かった。本来は緑一面の景色であるが、雪景色というのも一興だ。広場では2月に開催する雪祭りの準備を自衛隊がしていたが、例年より雪が少なくて大変そうだった。小岩井製品は今では首都圏などあちこちで見かけるが、やはり本家本元を訪ねると我がブランドのような愛着を感じる(製造は首都圏なのでしょうが(笑))

 

 

<小岩井農場正門>       <自衛隊による雪像作り>

 

今回も色々訪問したが、懐かしい景色がたくさん残っていた。みなさんも、記憶に埋もれていた景色をその掘り起こしに来てみませんか? 以上、盛岡および近郊の訪問記でした。

 

 <岩手山は盛岡の街をいつも見守ってくれています>

 

おしまい。

 

2016年度 大学訪問記①

2016年度 大学訪問記①

大学訪問編

~電気電子・情報システム工学科
小林研究室、長田研究室、向川研究室~


昨年に引き続き、2017年1月、科会活動の活性化を目的に、新会員となる現役の学生さんに科会活動をPRするために、支部役員が岩手大学を訪問しました。 昨年、初めて実施し、雰囲気が掴めたので、今年は更によいコミュニケーションを取れるのではないかと期待を胸に盛岡に向かいました。

 

訪れたのは1月20日。やはり関東とは違うキリッとした寒さでしたが、天気が良く爽やかな一日でした。街の様子を眺めながら、タクシーで大学に向かう途中、舘坂橋を渡る手前に、当時もあった、はちやパンションを見つけました。「パンション」ペンションでもマンションでもない不思議な名前で強烈に印象に残っている。当時はインターネットがなく意味は想像の範囲だったが、改めてググると実はペンションの本来の意味で、賄い付き(食事付き)の宿舎とのことでした。ここにきて、もやもやが一つ解消しました。

<狩野氏と中山氏>     <盛岡駅前の風景>    <はちやパンション>

その後、大学に到着し、すぐに目に入ったのが「理工学部」の看板。昨年4月に改組したことを実感しました。理がついて高尚になった感じですが、まだしっくり来ないです。
最初に小林先生の所にご挨拶に伺いました。学生の就職活動状況に関して、学部卒は7割以上大学院へ進学とのこと。修士卒の学生さんは、電気メーカより電力会社、自動車会社の方が人気が高いようです。その他、大学を取り巻く状況などを伺いました。また、科会の活動の活性化などについてもお話しできました。小林先生、お忙しい中、貴重なお時間を取って頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

<理工学部正門より>      <小林先生に大学の近況を伺いました>

丁度、お昼休みになったので、工食(工学部食堂)へ向かいました。食堂の入り口には「予想最低気温が-8℃」と。やはり、盛岡の寒さは厳しいですね。学生時代にアパートの水抜きを忘れて水道管を凍結させ、日中、暖かくなるように祈ったことを思い出します。食堂メニューには懐かしの焼きカレーも、まだありました。カリッとした表面に半熟卵を合わせると超うまかったことを思い出します。当時無かった焼ミートスパというものもあり、人気の焼きカレーの弟分といった所でしょうか。時間が掛かりそうなので、今回はすぐ食べられる定食を頂きました。

 

 

 

 

 

 <工学部食堂>         <理工学部正門より>

 

 

 

 

 

 

<焼きカレー今も健在>       <おいしく頂きました>

 

午後は学生さん達とのコミュニケーションを行いました。小林研究室(10人)、長田研究室(7人)、向川研究室(10人)の学生さんと会って、会報の「きたかみ」や「北杜」を使いながら、科会全体の紹介、東京支部の活動を紹介しました。学生さんからの質問は、やはり就職に関することが多く、入社試験、勤務地、会社生活に関してアドバイスをしてきました。各研究室での時間も限られていたので、もっと、ざっくばらんに話しましょうと夜の懇親会にお誘いして、研究室訪問を終えました。

 

 

 

 

 

<小林研究室の学生さんにきたかみ、北杜を紹介> <活動紹介をする中山副支部長>

 

 

 

 

 

 

<長田研の学生さんたち>

 

 

 

 

 

<向川研の学生さんたち>

待ち合わせの工食。前回は空振りに終わってしまったので、今年もかと半ば諦めていましたが、時間になるとたくさんの生徒さんが集まってくれました。テンションも上がり、皆で上田通りまで歩き、学生さん達が良く行くお店に案内してもらいました。

 <学生御用達の店> 

最近の学生は余り飲まないと聞いていて心配しましたが、参加してくれたみんなは昔の我々と変わりない飲みっぷりでほっとしました。楽しく飲み語り、あっと言うもの時間でしたが、科会の存在を少しは身近に感じてもらえたと思います。学生さん達はスポーツ、バイト、様々な活動を活発に行っていて、我々もたくさんのエネルギーをもらいました。学生さん達の今後の活躍に期待しています!

 

 

 

 

 

 <熱く語る中山氏>        <和気藹々と>

 

 

 

 

 

<全員集合>           <お疲れさま>

 

盛岡探索編につづく

大学訪問記⑥

大学訪問記⑥

懐かしの盛岡編

~変わる街並、変わらない街並~


 

久しぶりに訪れた盛岡。街はどんどん進化しています。しかし、変わらない街並も残っています。今の盛岡をグルッと紹介します。みなさんの想い出に残る景色にヒットしますか?

盛岡と言えば岩山。でも昼より夜景の記憶が多いかも。盛岡の夜景がいいのは、周りが暗く、空気が澄んでいるので、明暗のコントラストが高いこと! 派手さは無いけど、キラキラと輝いています。是非、皆さんの目で、確かめてみて下さい!

 

①岩山1

     <岩山より市街地を望む>      <盛岡駅方面。高層マンションが増えました>

 

②岩山2

<UFO展望台にあった銅像は(株)鹿島組の初代社長だったのですね>

http://www.city.morioka.iwate.jp/moriokagaido/rekishi/senjin/007575.html

 

 

続いては、高松の池。高松の池と言えば、お花見です。日本さくら名所100選にも選ばれるほどの味のある桜。しかし、思い起こせば、大声を張り上げて飲んだくれていた記憶しかありません。

③高松の池1

   <記録的な雪不足ですが氷はしっかり>      <白鳥も飛来しています>

 

④高松の池2

     <癒やされる風景です>       <盛岡女子校は盛岡誠桜高となって共学に>

 

 

続いては盛岡競馬場跡地。われわれがいた頃(1988-1992)は高松から坂を登った緑が丘に競馬場がありました。土日になると、近辺は大渋滞。でも、徒歩や自転車で行けたのはラッキー。焼き鳥ならぬ、モモ焼に唐辛子をたっぷりかけたのがうまかったな~。

 

⑤競馬場跡1

       <跡地利用の公園>        <公園といっても何も無いぞ・・・?>

 

 

お腹がすいたので昼飯に向かいました。皆さんのBest冷麺はそれぞれあると思いますが、今回は大学の最も近くにある、明月館に突入。同袍寮2階では、入学早々に冷麺早食い大会があり、地元以外の人は冷麺とは何ぞやを知らされました。超辛のジンスペとかいう裏メニューがあったなぁ。

 

⑥明月館

   <明月館>             <盛岡冷麺サイコー!>

 

 

車中からの街並スナップ!

 

⑦マルパソ_四ツ谷教会

 <医大前、マルパソ。激辛20倍カレー!!>       <四ツ谷教会>

 

⑧バスセンター_わんこそば

 <盛岡バスセンター>        <わんこそば東屋>

 

続いて、大人の街、八幡町、肴町へ。大学生はあまり馴染みが無かったかもしれませんが、アルバイトではお世話になった人も多いかも。

⑨八幡1

<MAISON PLAZA>           <新八幡街>

 

⑩八幡2

<スキーハウス?>          <スナック街>

 

⑪八幡3

<お好み焼き すずめ>           <狸屋敷>

 

⑫八幡4

<ぶじょほまんじゅう本舗>         <老舗料亭 喜の字>

 

⑬八幡5

<蘭々名物タンタン麺>       <盛岡劇場>

 

⑭肴町

<肴町アーケード。奥のエンドーチェーンはマンションに> <パチンコくつろぎは、HEARTSに>

 

 

続いて、大通りを通り、郊外へ。

 

⑮岩銀

<岩銀 旧中ノ橋支店>      <中ノ橋から中津川を望む>

 

⑯桜山神社_マッハランド

<櫻山神社>          <上堂のマッハランド!>

 

⑰青山

<青山の喫茶Donnyha(ダニーハ)>

 

盛岡探索いかがでしたでしょうか。 変わる街並、変わらない街並と入り交じっていますが、やっぱり盛岡は味わい深い街です。今回撮影できなかった場所は、リクエストがあれば次回訪問時行ってみたいと思います。もちろん、皆さんご自身の目で見て頂くのが一番です!!

 


 

さて、2月にH4卒の3人で行ってきた訪問記はこれで終了です。直接学生さんや先生方とお話しができて、漠然とではありますが卒業生と大学のつなぎ役として、もう少し我々にもできることがありそうだなという気がしました。一つひとつの機会を大事にこれからも卒業生の輪を広げていきたいと思います。

引き続き皆様のあたたかいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

 

p.s. 2月の写真を7月にアップするという怠慢を何卒お許しください。

 

おしまい

 

大学訪問記⑤

大学訪問記⑤

同袍寮訪問編

~同袍寮への道~


 

①同袍寮

 

 

 

 

 

 

 

 

<同袍寮近影2016年2月>

 

2016年2月13日(土)朝から市内観光を行い、高松の池をあとにした、我々H4年卒業メンバーとK畠氏(現在盛岡在住で入学は一緒だったはずだが何故か人とは違う進路に進んだ同期生)は、同袍寮に足を向けた。K畠氏の非常に大きな車で国道46号館向から、キッチンアベで洗面器大の器で供される大盛りカツカレーで満たされながら車で帰るかのようなルートで同袍寮に向かう。相も変わらず農学部の実習農場の傍に佇む寮は20年以上前の様相と全く変わらない姿で我々を迎え入れてくれた。実習農場と寮を分かつフェンスの看板には、『ここは農学部の実習のための農場です。勝手に作物を取らないように。』との注意書きが。背に腹は代えられない状況があるんだろうなぁと時代を超えて成長しない同袍寮生という、どうしようも無い時代を生きなければならなかった先輩後輩に思いを馳せてしまう。

中に入りたい!

さて、自分が寮生であった頃は外部からの来訪者は総務部が迎え入れたり、18時を過ぎれば当時電話番として玄関脇の放送室に控えていた寮生が対応し寮内放送で呼び出してくれていたであろう。『414室の〇〇さんお電話です!』とは皆が羨む寮内放送であったことは説明するまでもあるまい。

数年前に寮に改修が入り、自治寮としてのシステムが様変わりしたことは情報として入ってはいたので、我々の訪問をどんな形で迎え入れるのだろうか楽しみであったが、初っ端から我々の期待を挫くような事態に遭遇する。なんと、寮の入り口にテンキーが設置され暗証番号を入力しないことには玄関すら越えることができない状況であった。『むう…。』元寮生4人は茫然自失となってしまった。コンプライアンスだのガバナンスだのと世間が騒がしいが寮までセキュリティがこんなに厳しくなっているとは…。最早これまでかと思いつつも、何とか中に入れてもらうために玄関に寮生がいないかと必死に寮の中を覗きこむ。

 

②覗き込む不審者たち

 

 

 

 

 

 

 

<中を覗き込む不審者たち>

 

そうだ!非常階段から入れんじゃね?と4人の中で最も非常識な筆者が、かつて、部屋の後輩・伊藤某とオクラをカセットコンロで焼きながら日本酒を飲んだ非常階段からの侵入という非常識を遥かに超えた犯罪的な発想に皆が呆れ返る。覗き込んだところで侵入できないことは明白なので何かネタがあるかもしれないと侵入する気はないものの皆が非常階段に向かう姿に、誰もがやりたくはないのに空気を読んでいるうちに戦争に向かっていった1941年の空気を感じ取ったのは私一人ではなかったはずである。

 

非常階段下には立て看板の残骸があり、寮祭の文字がみえる。そう寮祭はまだ続いていることがここで判明する。寮祭の宣伝のために1年生は仮装をして盛岡市内中心部を練り歩く。自分を含む3階の寮生は伝統的に女装と決まっており、どこから集めたのか大量の女性の服から自分の体がおさまるものを選び化粧をしてゴールの岩手公園まで歩いたことを思い出した。2階の住人であったTZとE藤、k畠氏はオバケだった。伝統的に2階は南方の土着人の仮装で彼ら3人は全身真っ黒になっていたはずだったが、平気で伝統をぶち壊す芯の強い同期だったのだろう。ほどなく3人とも寮を出て行くのだが結果がそれを物語っている。

 

③寮祭看板

 

 

 

 

 

 

 

<非常階段下に打ち捨てられた寮祭の立て看板>

 

 

遂に潜入

④侵入を思いとどまる二人

 

 

 

 

 

 

 

<非常階段からの犯罪的侵入を思いとどまった筆者とTZ>

 

非常階段からの非常識な侵入(犯罪行為)を思いとどまった我々は玄関で寮生が出入りするのを待った。寮生を捕まえればいろいろ話が聞けて、寮の中に入れてくれるだけじゃなく、きっと部屋にも招待してくれるはず!と都合の良いことを夢想しながら待つこと数分、外出から戻ってきた第一寮生を発見する。彼に我々は怪しいものではないことを告げ、寮の中に入りたい旨を伝えると「管理人が、管理人が…」と連呼する。どうやら管理人が訪問者の受付をしているようで、普段はかつて放送室であった場所に常駐しているらしい。しかし、管理人が不在で彼にはどうすることもできない様子であった。しばらくすると第一寮生の背後から中年女性が近づいてきたので管理人か?と思ったが、第一寮生の母親だった。荷物を運び入れる彼らの後を自然とついていく形となり、遂に同袍寮の玄関に侵入することができた。

 

 

玄関から居室まで

⑤玄関

 

 

 

 

 

 

 

<こぎれいな玄関。正面の白板の張り紙を読みたい!>

 

⑥旧同袍寮看板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⑦告白箱

 

 

 

 

 

 

 

告発箱の存在が我々をザワザワさせる。

玄関の作りは当時とほとんど変わっていないが、とても綺麗になっていた。玄関左には昔の寮の看板が置いてありその奥に管理人室(元放送室)がみえる。右に下駄箱、正面に階段があり。構造はかつてのままのようだ。

第2、第3寮生からそっけない対応の後、我々を救済してくれる第4寮生と遭遇することとなる。第4寮生が外出から戻ってきたところをTZが、怪しいものではないから中に入れてくれと交渉を始める。さらに君の部屋も見せてくれないか?怪しいものではないから、と畳み掛ける。こういった厚かましさはTZはお得意なところ。同席したK畠氏の方が厚かましさでは飛び抜けているが、相手に対する威圧感が半端ないのでTZに任せて正解だった。第4寮生はいかにも怪しい同袍寮OB4人組に取り囲まれても怯えることなく、我々の要求を快諾してくれた。彼は教育だか人社の学生で、同袍寮はもはや工学部だけの寮にはなっていない事が判明する。彼は仮装的には南方の土着人の階の住人で、寮長部屋と同じフロアとなる。第4寮生に案内されるがままに彼の部屋へ侵入する。改修前は4人部屋であったが部屋の真ん中に壁を作り左右に出入り口を新設することで個室を構成してる。水周りも完備され我々の頃を考えると快適性は段違いである。。

 

⑧部屋内部1

⑨部屋内部2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<現在の部屋 (同袍寮Facebookから)>

 

⑪旧文化部部屋

 

 

 

 

 

 

<比較のため改修直前(2010年)の文化部>

⑩旧洗面所

 

 

 

 

 

 

 

 

<2010年頃の同袍寮洗面所>

 

我々の時代の水周りは本当に酷いもので、参考資料のように、よく病気もしないで卒業までの4年間(一部の人は8年間)もの間、生きのびたものだと考え深いものがある。

よく食中毒が発生しなかったものだ。結構人間って強い生き物なのでしょう。

部屋まで案内してくれた第4寮生に丁寧に礼を伝え、自啓寮との共通スペースへ向かう。

 

オッス!

部屋を去り1階へ向かう道すがら、第5寮生とその母親が階段を上がってきた。我々が寮生の頃はこんなに酷いところなんかとてもじゃないが親に見せられないなぁと感じていた。大抵親が来るのはパチンコやバイトに耽り、学校に行かなくなった学生を叱りつけにやって来るものだと相場が決まっている。きっと、彼もそうに違いない。第4、第5寮生がすれ違いざまに発したのは『オッス』だ。懐かしい!。一気にあの時代に引き戻されてしまった。オッスだ、オッスだ!と大男4人が女子高校生のようにキャッキャ騒いでいる姿に、第5寮生親子は怪訝な顔をしながら部屋へ消えていく。

掲示板、ポスター、告示

玄関に戻ろう。玄関には様々なポスターや、張り紙が掲示している。我々の頃と特に違うのがお酒に関するものだ。至る所に無理な飲酒や未成年に飲酒させないなど、昔は言われなくてもしっかり守られていたルールをあえて掲示するとは(^_^;)。

 

⑫掲示板

 

 

 

 

 

 

 

<注意喚起の張り紙>

 

⑬昔の掲示

 

 

 

 

 

 

 

<比較のためかつての食堂の注意喚起 『告』>

 

一方、玄関正面のホワイトボードには寮生大会の告示が掲示してあった。寮生大会では一体どんな議題で盛り上がるのだろうか?我々の時代は芝生問題であったり、駐車場問題であったり、途中のアタック休憩を挟み、3時4時まで盛り上がっていたものである。

役員の打ち上げは客が居なくなるまで店を開けてくれる楽園こと光楽園。ベロンベロンになった役員全員で紅梅寮までとつげきしたものであった。

⑭寮生大会告示

 

 

 

 

 

 

 

<寮生大会の告示>

 

また、自啓寮との間で問題が起きると寮長同士の手打ちとなるが、そのほとんどが問題を起こした寮生の反省文を掲示することになってる。我々が訪問した際には残念ながら反省文は見当たらなかった。今時の学生同士でどんなイザコザがあるのだろうか?

 

共通スペース

さて、玄関周りに面白いものが見当たらなかったので自啓寮との共通スペースへ向かう。かつては食堂と風呂、活動室だったかな?があった場所である。

 

⑮かつての風呂

 

 

 

 

 

 

 

<比較のため、かつての風呂>

 

風呂場はランドリー室とシャワー室に置き換わっていた。ランドリー室は広々として元風呂場の雰囲気が少しづつ残っていたように感じた。また、とても清潔感がありこれくらいきれいじゃないと若い人の寮離れに歯止めがきかないのであろう。(寮離れなんてあったけ?という疑問はスルーします。)

 

我々不審者がシャワー室でホホーン⤴と怪しく感心していると第6寮生が、オッスっと心なしか誰だ?こいつらという顔を見せつつもシャワー室に消えていった。これから合コンでもあるのだろうか、夜に向けてしっかり磨いて同袍寮魂をギャルに見せつけてほしいものだ。

 

⑯ランドリー室

 

 

 

 

 

 

<風呂場だったところはランドリー室(乾燥機ありました!)>

 

⑰シャワー室

 

 

 

 

 

 

<ランドリー室手前のシャワー室。第6寮生が磨いています。>

 

 

退散

⑱科会メンバー

 

 

 

 

 

 

 

<科会東京支部メンバー(LtoR:TZ、E藤、筆者)>

 

同袍寮を探索しきり、科会支部ホームページ用のネタの撮れ高も十分に確信した我々は、足早に退散するべく玄関へむかう。この後は、寮生御用達、明月館で冷麺を食べて、TZ、E藤がバイトしていた肴町や八幡へ向かうことを話しつつ一目散で退散するのであった。

 

つづく

 

大学訪問記④

大学訪問記④

夜の盛岡編

大学~上田通り~大通り


 

情報の学生のプレゼンを途中で引きあげて、しばらく工学部内をぶらぶら歩きまわって、ちょうど飲み屋が開きそうな時間帯になったところで、飲みに誘っていた長田先生のところの学生と合流するため、再び長田研究室へ。

そこで、我々を茫然とさせる光景が・・・・だっ、誰もいない。。。

そういえば、誘っただけで時間を決めてなかったよなぁ~、とすぐに反省の念が脳裏をよぎる。

確かに我々と飲みに行くことを心待ちにして、研究室で待ってくれているなんて甘く考えていた自分たちが浅はかであったが、つーかみんなこの時期こんな早く帰っていいの?長田研究室の学生はみんな、卒業論文や実験等を定時間内(学生時代、定時間という概念はなかったが)で楽勝にこなす優等生ばかりなのだろうか???

今訪問最大の目的であった、学生との飲みニケーションがこの瞬間もろくも企画倒れになってしまった。

 

00_ちばさん1

 

 

 

 

 

 

<真ん中;技官の千葉さん>

 

残念な状況になってしまったが、いつまで打ちひしがれていてもしょうがないと心を入れ替え、本日いろいろお世話になった技官の千葉さんに挨拶をして、夜の盛岡へ繰り出すことに。

 

 

01_上田会館1

 

 

 

 

 

 

<時間が止まっているかのような上田会館>

 

02_上田会館2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<上田会館内;ほとんどやってない>

 

とりあえず上田通りを歩いてみる。知っている店があったら入りたいと思いながら3人できょろきょろ探すも、通りに飲み屋がほとんどなく、自分たちの記憶もかなり怪しい。上田会館は覚えていたけど店の名前まで出てこない。営業している店に入ることを躊躇して先に進むことに。

 

03_上田通り_kemuri

 

 

 

 

 

 

<上田通り ショットバー風のKEMURI>

 

04_上田通り_ショップ

 

 

 

 

 

 

<上田通り 古着屋さん TAO>

 

05_上田通り_養老の滝

 

 

 

 

 

 

<上田通り 養老の滝>

 

少し歩くと、我々のイメージする上田通りには似つかわしくない、おしゃれなショットバー風のお店や古着屋さんができていました。かろうじて記憶のあるのは養老の滝くらいか。

思い出深い、“らくえん”こと『光楽園』は数年前にすでに店をたたんでいました。

結局、めぼしい店を見つけることができないまま、上田通りをとおり抜け、大通りまで歩くことに。目的地をN副支部長が学生時代にバイトをしていた『茶の間』に定め、大通りの風景を懐かしむ。

 

07_大通り2_さわや書店

 

 

 

 

 

 

<大通り さわや書店>

 

08_大通り3_交差点

 

 

 

 

 

 

<大通り 映画館通りとの交差点>

 

09_大通り4_ミスド

 

 

 

 

 

 

<大通り ミスタードーナツとその上にあるショットバーCHARLY>

 

10_大通り5_岩手公園

 

 

 

 

 

 

<大通り 岩手公園前>

 

大通り沿いは今時のチェーン店ばかりが目立つ。待ち合わせ場所によく使ったミスタードーナツとその上にあるショットバーCHARLYがまだあったことは、入学直後の新歓の頃を思い出させてくれた。

更に進んでやっと桜山神社まえまでたどり着く。この辺りは、我々世代より更に前からやっている店が残っている数少ない場所であろう。

 

11_桜山神社

 

 

 

 

 

 

<桜山神社>

 

14_パイロン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<白龍(ぱいろん)>

 

13_パイカル

 

 

 

 

 

 

<白乾児(ぱいかる)>

 

15_茶の間

 

 

 

 

 

 

<茶の間>

 

目的地の『茶の間』に到着。かつてN副支部長がバイトをしていたことから、我が家のごとく店内に入る。日本語がたどたどしいバイトの店員さんに昔バイトしていたものだと説明していたら、横のお客さんに「おまえは中国人か?」とまくし立てられるN副支部長。聞くと、近頃のバイトは外国人ばかりらしい。現在のバイトさんはベトナム人とのことで、何となく世知辛さを感じる。

茶の間にくるお客さんは地元の常連客ばかりで、客同士で自然に会話が弾む。後から来たお客さんと話をすると、岩大人社OBで北謳寮の元寮長だったとか。初めて会う人たちと、こんな話で盛り上がれるのも、盛岡であればこそ。

 

16_茶の間おやじ

 

 

 

 

 

 

<茶の間のおやじからお土産の日本酒をもらうN副支部長>

 

17_かしわや

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<かしわや>

 

茶の間で熱燗をしこたま飲んだ後、そばでも食べるかということで『かしわや』に入る。ここはE事務局が寮生時代に1週間だけバイトをしたところで、GW中に休暇をもらおうとしたらクビになった店。店主にその話をしたがさすがに覚えているわけはなかった。

 

 

酒もかなり飲み、腹ごしらえも十分であったが、まだまだ時間が早いのでぶらぶら夜の盛岡を歩く。覚えている店が少ない中、懐かしい店が目に入る。焼肉『大同苑』。ここは、同胞寮時代の土木系の同期(K氏;翌日盛岡市内観光の運転手をやってくれた)がバイトをしていたことから、当時は最後に行く店として活用していたところ。

大同苑の向えの通りには『ダンスホールかわい』の看板が残っていた。“ダンパ”などの言葉は今の学生には死語だろうか?看板は残っていたけど、やっている気配は感じられなかったのが残念。

 

19_大同苑

 

 

 

 

 

 

 

 

<大同苑>

 

20_かわいダンスホール

 

 

 

 

 

 

 

 

<ダンスホールかわい>

 

大同苑で無理やり焼肉を食べながらも、既に茶の間の熱燗で酔っぱらいmaxに達していたE事務局が眠りに入ってきたため、お開きにすることへ。

予約したホテルへむかい、翌日予定していた盛岡市内観光及び同胞寮訪問に備え、一同休息に入る。

懐かしの夜の盛岡を十分堪能できました。

 

21_ホテル

 

 

 

 

 

 

<夜の北上川とホテル>

 

 

つづく

 

大学訪問記③

大学訪問記③

先生に御挨拶編

~電子デバイス工学;小林先生、

 メディアシステム工学;松山先生~


 

現役大学生と科会メンバとの接点にあたる就職担当の先生にもご挨拶をと、小林宏一郎教授にお時間を頂きました。

01_新棟

 

 

 

 

 

<新棟を訪問(工学部の駐車場があった場所)>

 

 

小林先生とは初対面で、緊張の中お会いしましたが、実は我々とほぼ同世代と言うことが分かり、少しリラックスしてお話をすることができました。

 

最近の状況としては、電気系卒業生への採用募集は多い状態だが、大学入学での電気系の希望が少なめで苦慮しているとのことでした。これは、岩大に限らず全国的な傾向とのことで、電機業界が苦戦しているイメージが影響しているのでしょう。何とか払拭するような明るい話題を出したいものです。

 

02_小林先生

 

 

 

 

 

 

 

<左から2番目が小林教授>

 

 

東京支部に期待することとしては、学生に企業での経験を話す機会を作って欲しいとのことでした。これは、企業幹部などのベテラン社員から生の声を学生に伝えることで、社会の厳しさや学問との繋がりを知ることができ、研究や授業に取り組む姿勢に刺激を与えられる期待ができるとのことです。また、その企業イメージが明確化され、就職先として候補に上がってくることも期待できるとのことです。学生は企業の人から直接話を聞く機会が限られていて、イメージで判断していることもあるようです(科会の皆さん、いかがでしょうか?)。

ところで、私達は東京支部の活動活性化のために訪問したのですが、小林先生もご自身の出身大学の岩手エリアの世話役をしているとのことで、同じような課題をお持ちで、思いの外、話に花が咲きました。今後も活動アイデアについても、話をして行ければと思いました。

 

03_情報棟

 

 

 

 

 

 

<情報棟>

 

続いて、2015年10月の東京支部大会に一祐会の御来賓として出席いただいた助教の松山克胤(かつつぐ)先生を訪問しました(先の支部大会では理工学部への学部改組についてもご説明頂きました)。

松山先生は、メディアシステム工学で、コンピュータグラフィックスの表現形式や生成方法についての研究や,3次元データの形状処理技術などの研究をされています。

 

04_松山先生

 

 

 

 

 

<コンピュータを使って実演>

実際にコンピュータを使って、いくつかの処理技術を、我々素人にも大変分かりやすく紹介いただきました。地元での(人的)ネットワークから新たな情報利用の試みなどについても紹介していただきました。

 

05_松山先生2

 

 

 

 

 

<松山先生にわかりやすく説明頂きました>

 

また、メディアラボという3Dデータなどを撮影できるスタジオのような部屋があり、そこで行われていた学生によるプレゼン大会を見学させて頂きました。卒論・修論とは別のテーマで半期ごとに自主研究発表会を行っているとのことです。最近は中国からの留学生も何人もいるようで、我々の時代とは変わってきていると感じました。松山先生、大変お忙しい中、お時間を取って頂きありがとうございました。

 

06_メディアラボ

 

 

 

 

<メディア・ラボ>

 

 

つつぐ

大学訪問記②

大学訪問記②

長田研究室編

~長田研究室(おさだけんきゅうしつ);システム工学~


 

①長田先生とH4卒支部メンバー

 

 

 

 

 

 

 

<長田先生とH4年卒業の東京支部メンバー>
長田研究室には訪問日のかなり前から『行くよ!いくよ!いきますよ!』と前置きしておきましたので、我々平成4年卒業の3人組のおじさん達が、いきなり研究室に乗り込んでみても、研究室の4年生の佐藤くんが、快く迎えてくれたことは、我々の訪問の大成功を勘違いさせるに十分な心地よさでした。前年の同窓会会員の歓迎会(卒業式前後で開催)でも大学院生を積極的に送り込んでいる研究室と噂では聞いていましたが、流石、長田研究室!学生も良く教育されていると感心ばかり。20数年前の自分にそんな振る舞いができただろうかと?反省と後輩の素晴らしい所作に対する嬉しさがないまぜになった変な顔で研究室に入室。
かつて在籍していた部屋ですがレイアウトが様変わりしていました。学生の机は3つの島に分かれ、右奥には技術部の千葉技術室長の机が書類の壁の奥に。千葉さんの机は20年以上前となんら変わることがなく、どこに座る場所があるのだろうか?と全くもって見当がつかないカオスな机周りで妙な安心感を覚える。学生の整理整頓された机とのコントラストもあって微笑ましいものであった。部屋の奥にはソフトボール大会用と思われるグローブがいくつかロッカーの上にあり、研究室行事も変わらないなぁと一瞬思い出に耽る。

快く招き入れた佐藤くんが、千葉さんが研究室に戻るまで我々に椅子を勧めつつ自分からも積極的に会話に参加し、所在無げで研究室の異物になりそうな五十路前の我々を救ってくれました。

②4年生の佐藤くん

 

 

 

 

 

 

 

<異物化から救ってくれた佐藤くんと異物になり損ねたTZ氏>

 

 

佐藤くんたちからは、研究室の雰囲気や就職・進学の状況、ソフトボール大会など研究室の行事や学生生活に関わる全般を教えて貰う。途中同袍寮の情報を得て今回絶対に同袍寮に訪問することを決意する。
程なく千葉さんが戻り、別室を荷物置き場として使ってくれとの優しいお言葉。そのことばに更に甘えて学生たちに支部活動のPRをさせていただくことをお願いし、快く了承していただきました。

 

 

③PR中の中山

 

 

 

 

 

 

 

<学生に熱く支部活動をPRしている筆者。なぜニヤけるのか?>

 

④長田研究室の学生たち

 

 

 

 

 

 

 

<急に呼び出された長田研究室の学生たち。なぜニヤけるのか?>

 

 

30分ほどでありますが我々が訪問した目的や首都圏を考えている学生にどんな様子なのかちょっとした相談会の体で彼らの話を聞ことができました。東京の通勤ラッシュ、できるだけ地元から距離を置きたくない、田舎すぎるのもちょっとなど、彼等らしい様々な理由から、就職先を選択している様子が窺い知れた。すでにTOEICなどは在学中には必須となっているようでしたので、我々からは、海外で仕事をするという選択肢もあることや、通勤ラッシュは気にならなくなるほど仕事に埋没できるなど、アドバイスというより彼等をドン引かせるようなことしか話せず、ジェネレーションの違い以上に会社人に染まった自分たちの提案の幅の狭さに辟易してしまう。彼等とは学校の後で飲みに行こうとお誘いし、数名が参加することになり、飲み会で適切なアドバイスで挽回することを誓う。
つづく

 

 

 

大学訪問記①

大学訪問記①

いざ盛岡編

~雪の岩手山と懐かしの学食~


 

支部役員会ではかねてから、科会活動の活性化を目的に学生との交流を増やしてみてはという話が挙がっていましたが、この2月、H4年卒の3人組みで大学へ訪問し、卒業間近の学生や先生たちにご挨拶をしてきました。はたして、狙い通り学生とのコミュニケーションが取れるだろうか?という一抹の不安を抱えながらいざ盛岡へ!

 

以下、1泊2日の盛岡訪問記を3人で分担し6編にわたって報告させていただきます。

①2月の盛岡駅前

 

 

 

 

 

 

 

 

<2月の盛岡駅前>

 

2月12日、東京発7:16のはやて111号に乗車し、10:11盛岡着。道には全く雪はありませんでしたが、駅前には観光客向けの雪だるまが作られていました。さすがに東京よりは寒かったですが、思ったよりは暖かい。ゆっくり歩いて大学まで行くことに。

 

②岩手山

 

 

 

 

 

 

 

 

<夕顔瀬橋からの岩手山>

 

 

先ずはお約束の北上川と岩手山の写真を撮って、卒業後からずいぶん変わった町並みを楽しみながら同胞寮時代よく通った道(のはず)を、3人の記憶をたよりに大学へ向かう。しかし、おっさん3人の記憶のほころびは補えず、同胞寮の入口に向かったはずが、農学部裏の旧岩手大学正門に行きついてしまった。

 

③旧正門

 

 

 

 

 

 

 

 

<旧岩手大学正門>

 

まぁ、同胞寮は後のお楽しみにするとして、最初のご挨拶である、本部の柳橋さんとの待ち合わせ場所、中央食堂へ向かう。

 

④生協食堂のお知らせ

 

 

 

 

 

 

 

 

<バレンタインデー特別企画“チョコレートコロッケ”???>

 

 

⑤中央食堂

 

 

 

 

 

 

 

 

<平日午前中の中央食堂の様子>

 

いくらバレンタインデー直前とはいえ、チョコレートコロッケは無いだろう!などと思いながら二十数年ぶりの中央食堂に入る。昔より明るい感じがする。勉強している学生もちらほら。

 

⑥柳橋さんとの打ち合わせ

 

 

 

 

 

 

 

 

<中央食堂で柳橋さんとしばし打ち合わせ>

 

柳橋さんと無事合流し、今回の目的などを説明。東京方面に就職予定の学生と交流し、支部の活性化につなげたいということを伝え、本部や先生方の継続的な協力を依頼。話も弾んだところで柳橋さんが柏葉先生に急遽アポを取ってくれることに。予想外のうれしい展開に一同感謝。

 

突然の訪問にも柏葉先生には快くお部屋に迎えていただき、先生直々にコーヒーを淹れてもらいました。

 

⑦柏葉先生のお部屋

 

 

 

 

 

 

 

 

<岩手大学地域連携推進センター付属インキュベーションラボの中にある柏葉先生のお部屋>

 

 

⑧柏葉先生と記念写真

 

 

 

 

 

 

 

 

<左から、中山副支部長、柏葉先生、加瀬事務局、遠藤事務局>

 

柏葉先生は午後に外出予定のところ、昼休みのお時間を割いてお付き合いいただきました。次回は事前連絡をしてからお伺いいたします。本当にありがとうございました。

 

⑨工学部食堂

 

 

 

 

 

 

 

 

<工学部食堂にてサバ塩焼き定食の2人>

 

柳橋さん、柏葉先生と別れ、午後訪問予定の長田研究室へ行く前の空き時間で工学部食堂にて腹ごしらえを。正直サバは不味かった。期待は裏切られたが、まぁ安いのでしょうがない。

 

⑩一祐会館

 

 

 

 

 

 

 

 

<工学部の一角にある一祐会館>

 

長田研究室にお邪魔する前に、一祐会の事務をやっている小田島さんに一言挨拶に。事前に連絡を入れたところ、お子さんがインフルエンザのため休暇中とのことでしたが、わざわざ挨拶のため一瞬だけ大学に出てきてくれました。ありがとうございました。

 

 

さて、午後からは学生さんとのご面会。はたして今の若者と会話ができるのだろうか?

期待と不安の中、長田研究室へ向かう。

 

つづく

 

 

平成27年「きたかみ会」総会及び懇親会出席

  • 平成27年「きたかみ会」総会及び懇親会

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日時:平成27年7月4日(土) 15:00~17:30

場所:鉄鋼会館(東京都中央区)

電気電子情報科会参加メンバー:中山副支部長/加瀬事務局

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今年度の「きたかみ会」の総会及び懇親会に参加してきました。今年の「きたかみ会」は大きな変化を二つ感じました。一つは、役員が改選され、支部長が若いH05卒の竹ヶ原さんが新たに就任されたことで、他の役員も一気に若返りました。もう一つは、大学院生が盛岡から2名参加されていたことです。

竹ヶ原さん

新支部長に就任した竹ヶ原竜大さん(H05・土卒)。一祐会の東京支部で一番若い支部長となられました。

 学生が2名を今回初めて盛岡から招待したのは中坪前支部長の英断かと思います。我々も機会があれば学生との交流の場を設けたいと考えていましたが、先を越された感じです。2人とも既に就職が決まっており東京方面に来る可能性があるようです。来年の「きたかみ会」総会には若い方の参加が増えてそうな気がしました。

羽原先生

昨年の「きたかみ会」総会でもお会いした羽原先生。今年も楽しくお話させていただきました。

 

大学からの来賓は学科長の羽原先生でした。来年から行われる工学部の改編など、大学の現状と今後の予定について報告されていました。羽原先生はお話が面白く、懇親会の後に私と中山副支部長で近くにある先生のお知り合いのお店(焼鳥 きや)でごちそうになってしまいました。いや、実においしいお店を紹介していただきました。

 

中山他

(左)当科会東京支部の中山副支部長、(中)きたかみ会の千葉行雄さん(S56・土卒)、

(右)岩手大学大学院生の古谷さん

 

学生の方ともお話できて大変有意義でした。写真(右)の古谷さんは、社会環境工学専攻2年水域防災工学研究室とのことで、電気系にも友人がいるということでした。是非当科会東京支部のことを紹介してほしいとお願いしてきました。また、我々が盛岡に行った際には窓口になってくれるとのことで、早速メールのやり取りをさせていただいた次第です。今後ともよろしくお願いします。

「きたかみ会」の皆様、楽しく飲ませていただきありがとうございました。

「きたかみ会」ホームページ:http://kitakamikaihp.jimdo.com/