2016年度 大学訪問記②

2016年度 大学訪問記②

盛岡探索編

~寮巡り~盛岡市内~郊外~


昨年、何十年ぶりに盛岡を探索したが、まだまだ確認していない所があるので、今年もブラブラ訪れてみた。
前回は昔の住みかである同袍寮をチェックしたので、今回は当時、交流のために訪れた女子寮を確認したくなった。まずは、高松エリアの岩手大学紅梅寮。建物はきれいになっていたが当時を思い出して懐かしい。訪問中、人の出入りはなく現代との交流はできなかった。寒くて建物に籠もっているのだろうか。昔は大声でストーム(挨拶)をしていたことを思い出す。おまけで隣の北謳(ほくおう)寮も覗いたが、学生との交流はできなかった。当時(90年代)は人社・教育の男子寮だったが、現在は学科は特に決まっていないらしい。

 

 

<わくわく、紅梅寮>         <すぐ隣の北謳寮>

移動をして、岩山の麓にある、衛生学院の桐和(とうわ)寮へ行ってみた。緩やかな坂道を登ると左手に見覚えのある建物はあったが、カラフルな色のパンションとなっていた。副支部長は建物を呆然と見つめるだけであった。

<元・衛生学院 桐和寮> 

続いて中野にある盛岡短大のひめかみ寮。現在は県立大学の寮として継続しているようだったが、人影は見えなかった。ここは昔のままの姿であり、かなり懐かしい。ついでに寮の裏を見た所、ボーリング場「光フェアレーン」は健在だった(現在はスターレーンと改称) 何度か合コンでボーリングをした記憶がある。

 

<ひめかみ寮>         <元・光フェアレーン>

 

寮のチェックはここまでで、移動中に街を眺めていると不思議な公園を見つけた。茶畑にある十六羅漢像。1849年の江戸時代から何の囲いも無く自然に触れられるというのはすごいことだ。更に、すぐ横に栗割り桜という木がにあった。栗の木の間に桜の木が育っていて春には花も咲くようだ。桜の強い生命力に感銘。当時はこういったものに全く興味が無かったが、今なら気になる見所は、盛岡にはまだたくさんあるのだろう。

<茶畑の十六羅漢像>     <栗割り桜長>

 

 

更に移動を続けると、昨年見かけた中ノ橋通りの盛岡バスセンターが姿を消していた。だいぶ老朽化していたので、安全上撤去したのだろう。見覚えのある風景がまた少しずつ変わっていく。

 

 <盛岡バスセンターが姿を消していた>      <バスセンターがあった頃の写真> 

そこから大通方面に向かい、盛岡城址公園の横を通った。雪の石垣というのも風情がある。城があった時代は、雪化粧した盛岡城もさぞかし風情のあるたたずまいだったのだろう。

 

 <盛岡城址公園> 

岩大方面に戻り高松へ。4号線沿いの盛岡食堂。通称、盛食。自分にとってはすぐ側にあった大名うどんの方に良く行っていたが、盛食の方がまだがんばっていた。上堂のマッハランドも健在だった。中には変わらず36レーンの広いボーリング場があったが、新たにドン・キホーテも入っていた。これは、きっと楽しいだろう。

 

<高松エリア4号線沿いの盛岡食堂>           <マッハランド>

 

そこから国道46号を秋田方面に走り、繋の交差点の少し前に、三千里を発見。昼時だったので冷麺を頂く。うまかった。その後、今回は左手の手作り村方面には向かわず、右手の側道を入る。次々と派手な看板を通り過ぎ、ようやく目的地に着いた。

 

<46号沿いの焼肉 三千里>       <三千里から右手の側道をひた走る>

 

ここは小岩井農場。当時、たまに車を走らせて遊びに来ていた。岩手山の麓の広々とした土地にのんびり牛や羊がいて、歴史的なサイロや牛舎を見ると、歴史と自然を感じ居心地が良かった。本来は緑一面の景色であるが、雪景色というのも一興だ。広場では2月に開催する雪祭りの準備を自衛隊がしていたが、例年より雪が少なくて大変そうだった。小岩井製品は今では首都圏などあちこちで見かけるが、やはり本家本元を訪ねると我がブランドのような愛着を感じる(製造は首都圏なのでしょうが(笑))

 

 

<小岩井農場正門>       <自衛隊による雪像作り>

 

今回も色々訪問したが、懐かしい景色がたくさん残っていた。みなさんも、記憶に埋もれていた景色をその掘り起こしに来てみませんか? 以上、盛岡および近郊の訪問記でした。

 

 <岩手山は盛岡の街をいつも見守ってくれています>

 

おしまい。